ブログジャック2:なぜスペインに移住したか Part 1 by オーナー夫

        

こんにちは!前回人生初のブログを書きましたが、なんとその反響が!

特にありませんでしたね。汗

でも挫けないのが日本男児。前回勝手に約束した、「なぜバルセロナに移住したか」について今回は書きます。特に興味はないかと思いますが、一人の人にでも興味を持っていただければ!

もともと海外かぶれな私は、子育てするなら海外、また、自分もできれば海外に住んでいたい、と思っていました。こんなこと書くと、愛国心の強い方に怒られそうですが。。。でも、実は日本のことは大好きなのです。海外にいると日本のいいとこを思い出し、ますます好きになるばかり。日本人であることの誇りは片時も忘れたことはありません。

2011年女子サッカーW杯決勝、日本対アメリカ、完全アウェイのニューヨークのスポーツバーで観戦、アメリカ人が100人以上いる中、一人で日本応援していたらビールかけられましたね。苦笑 2018年サッカーW杯日本対コロンビア、バルセロナのバーで観戦、バルセロナはコロンビア人多いので、バーには100人以上のコロンビア人がいましたが、一人でニッポン・コールをして応援。でもコロンビアの方はビールをかけるどころか、勝利した日本を祝福してくれたのを今でも覚えています。危険な目に遭いながら日本を応援する!これくらい日本が好きなのです。って、脱線しすぎですね。。。なぜ子育てを海外でしたいか、などは別の機会に書きましょう。

さて、本題のなぜスペイン、なぜバルセロナか、ということですが。

2000年代前半、もともとサッカーが好きだったんですが、その頃からFCバルセロナ、というクラブに興味があり軽く追っかけてました。そして2006年に彼らがクラブW杯という大会を戦うため日本に来たのです。そこで彼らを生で見て感動し、ますますファンになり、「バルセロナ」という街が特別な響きを持つようになったのです。また、同じ頃、青山にあるエル・カステリアーノというレストランに行った時に食べたスペイン産生ハムに感動し、それもスペインに強い興味を持ったきっかけでした。生ハムがあまりにも好きになってしまったため、その後通販でスペインから生ハムを脚一本仕入れ、家に常備していました。ただ、もちろん冷蔵庫には入らないし、だんだん家が獣臭くなっていったので、ベランダで保管していました。だから隣人からは怪しい人と思われていたかもしれない。でも当時の隣人さんに胸を張って言いたい、あのベランダで見えてた物体は死体ではなくハムですよ!

その後、2008年にニューヨークに引っ越してからは、時差も緩和されたので、ほぼ毎試合バルセロナの試合をテレビで見ました。どんどん興味が湧き、2009年の秋に初めて一人でバルセロナを訪れました。社割がきいたので海沿いのBarceloneta地区にあるHotel Artsに泊まり、一番最初に行ったバルは、Vaso de Oroというステーキが美味しい有名なバル。バルなどオススメスポットについてはまた今後書いていきたいと思います。

あの有名なサクラダ・ファミリアを見ている時には、大阪出身と名乗る女性に一緒に回らないか、と声をかけられました。いわゆる逆ナンだ。しかし、私はその人を完全に無視した。当時独身で彼女もいなかった私からすると、嬉しいお誘いに決まっていた。でも、その人のことは全く目に入っていなかったのだろう。なぜなら私はその時すでにバルセロナという街に恋をしてしまっていたのだから。不器用な私に二股は無理だ。

たった三日間の短い滞在でしたが、真っ青な空、美味しい食事、温暖な気候、優しい人、風情のある街並み、この街に恋をしてしまった。そして、後ろ髪を引かれながら、ニューヨークに戻っていったのです。もっと見る

 

↑リンクを押そうとした方、もうこのブログにはまってますね!?これはただのリンクもどきでした。笑

続きは次回

 

 

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1件のコメント

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石塚

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